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久米島の「笠末若茶良」の話

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沖縄県本島から真西へ100kmに浮かぶ、比較的大きな島「久米島」がある。

久米島空撮

この島の名前の由来は色々伝わちょるが、ワシが一番自然じゃなと思っちょることを言おうな。
ま、一つの例として知っとればいいじゃろ。

久米島を最近になって「久美島」とかいっちょるが、そんなのは史実にはない。後付けじゃ。

本来は「コメの島」を琉球の言葉で「クミジマ」と言っとった。これは事実じゃ。
今でこそ、島内での基幹農作物はサトウキビじゃが、これが伝わる以前は琉球でもっとも稲作が活発に行われていた島なんじゃ。

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琉球が日本の薩摩藩の支配を受けた頃は、日本の税は「コメの年貢」じゃった。だから、薩摩藩への上納としては久米島の稲作は重要じゃった。

そんないきさつから「久米島」となったのじゃ。と言う話が信用できそうに思う。ま、ええ。

琉球国は当時の政治支配構造としては国際標準だった「王立国家」じゃった。日本では、「天皇家」は戦国の世の時代に温存はされたが、実情、暴力的恐怖政治国家となったお。いわゆる「武士支配時代」じゃ。
じゃから、当時としては、日本の方が珍しいイデオロギーによって運営されていた国家じゃ。国家元首としての天皇家は守られれてはいたが、立憲主義はなく、軍事独裁政権だったから、「立憲君主制」の国ではなく、「軍事独裁君主制じゃった。

琉球は「琉球王国」だったから、平安時代に似ちょるな。で、王室の人たちが地域を統治しておった。島国の琉球国は、島ごとにその王室の者が統治したんじゃな。その各地域のトップは「按司(あじ)」と呼ばれたんじゃ。

今回の話題とする久米島は「伊敷索(ちなは)」と言う按司が支配していたんじゃ。

その歴史の話をする。

 

 

久米島は、今から四百五十年ほど前、伊敷索(ちなは)という按司(あじ)が統治しとった。

久米島は大きな島じゃが、しかし、一周でフルマラソンコースは無理がある。そんな島に、グスク(城)が多くあった。現在確認されている城跡は4つある。

無題

写真は宇江城城跡の空撮じゃ。

伊敷索は白瀬川(しらせがわ)の近くに自分の城を建てた。

長男には、久米島の北のそびえる、島内で一番の高地の「宇江城岳(うえぐしくたけ)」頂上に城を与えた。そこで、島の北部を支配させたんじゃ。

次男には、西海岸の唐泊(とうどまい)付近に具志川城(ぐしかわぐしく)を与えて、海外貿易をさせたんじゃ。

伊敷索(ちなは)は、この二人には、久米島の有力者の娘を娶らさた。(妻として与えた。この「与えた」は現代ではかなり違和感のある言葉じゃが、時勢としては普通じゃった。)

自分の娘も久米島の有力者と結婚させた。

この結婚は、久米島の支配に都合が良かったんじゃ。有力者との縁組じゃから、明らかな政略結婚じゃな。
これで、伊敷索一族の久米島支配は磐石じゃ。

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「側室」と言う言葉を知っちょるかな。「世襲統治」が標準の時代では、子孫の断絶は支配権を失うことになるし、そもそも、それが標準じゃから、断絶は、世の混乱に直結するんじゃ。じゃから、支配者の子孫繁栄は国家の一大事じゃった。

そんな時代では、配偶者に子が生まれなかった、あるいは、子が虚弱であったとか、また、子供がすべて健康に育つとは限らん時代じゃから、跡取り(お世継ぎ)は大勢設けなければ安心できなかったんじゃ。

そこで、「側室」と言って、王の子を懐妊するためだけの女性が必要じゃった。結果論はともかく、「妾」や「第二夫人」、「愛人」とはまるで違う女性じゃ。場合によっては、その女性の名前すら後世に伝わらんケースもあったんじゃ。

伊敷索も側室を備えた。粟国島の「大屋(うふやー)の娘」であることだけが伝わっちょる。

無題

この側室による子が3男じゃ。彼がこの話の主人公じゃ。

名を「笠末若茶良(がさしわかちゃら)」と言う。

彼は、正妻(長男、次男の母)からえげつのう苛められたらしいが、島民からは慕われちょった。

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笠末若茶良は、家族からはしいたげられて育ったが、登武那覇城(とんなはぐすく)の城主になった。

登武那覇城は旧仲里村にあった。現在は今先がなく、その場所の特定がなさらただけじゃ。彼の身の上に似た侘びさを感じるのう。

無題

年代は不明で、日付だけが伝わちょる。

ある年の十二月二十八日じゃ。この地域では、この日に、一年の恵みを感謝する、豊年満作感謝祭が行われておった。天の神にちしてじゃ。

普通なら、久米島の総ての神女達は伊敷索(「いしきなわ」と読んでいるが、本当は、「ちなは」と読む)按司を拝んじゃ。

ところが、この年には、誰もそうせず、登武那覇城主である、末若茶良を拝んだんじゃ。
ワシもいろいろrフィ優雅伝わっていないか調べたが解からん。沖縄でのこのような「なんでかねー」的なのかなり多い。昔から、追求するのを好まん地域性は認める。てな具合じゃから、記録、伝説がないじゃろうな。本来、権力移行、動向については、重要な史実じゃから、これこそがポイントなんじゃが、今まで連々いろんな話と同様、これも神がかりな話になっちょる。

で、そればかりか、久米島の神女の最高位の君南風(ちんべー)が民衆前で

「笠末若茶良は、徳が高くい。したがって、未来は久米島はおろか、琉球全体を治める按司になる。」
そう、予言しおった。

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途方もない予言に伊敷索按司はビビリまくりよった。

「どうかせんと、笠末若茶良にやられてしまうかも!」

その直後にワシには理解不能な行動をとったことが記録に残されちょる。

それは、笠末若茶良の母親を粟国島へ返したんじゃ。粟国島は遠い。孤島じゃ。そもそも、無理くりに連れてきて、はらませて、その仕打ち。余計に息子の笠末若茶良の反感を買うじゃろうに。訳わからん。

そこへ、さらに企てを企みよった。

前々から、讒言(なんの根拠もない悪意ある作り話を流布すること)だらけの平度比屋(ひどぬひやー)と密かに話あっておった。
それは、笠末若茶良を殺す方法じゃ。

一方、粟国島に帰った笠末若茶良の母は、毎日息子のいる久米島を眺めながら暮らしたておった。

その時の歌が残ってちょる。

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いややとぅざ主(すー)よ
まくしとぅいざ主(すー)よ
うらきらしゃみほしゃ
離(はな)れ居(お)る吾(あん)は
とぅわけ居(お)る吾(あん)ん や
とぅわけ居(お)る吾(あん)んは
はは崖降(はんたう)りやい
後崖見(くしはんたみ)りば
笠末若茶良(がさす)の
笠末若茶良(がさすわかちゃ ら)の
真物(まむぬ)若茶良(わかちゃら)の
うち歩(ゆ)みがみゆる
うち歩(ゆ)みが見物(みむん)
振(ほ)れ舞(ま)いが見物(みむん)
前 (めー)むいから寄(ゆ)てぃ来(く)う
側(すば)にかちゆてぃ来(く)う?

現代語訳
 天下に名を轟かせる主よ
愛しい名高い方よ
待ち遠しく思われてならないよ
離れている私は
離れ島におる私は
離れ島におる私は
崖っぷちに降りて 行って
後崖を見れば
笠末若茶良の
笠末若茶良の
立派な若茶良の
歩くのが見えるようだ
その歩く姿の見事なことよ
その振る
舞いの美しいことよ
さぁ、前に寄っておいで
側に寄っておいで

無題

エレジー(哀唄)じゃのう。

笠末若茶良も粟国の見える楚那見崎(すなみざき)の丘の大きな石に毎日上がって母親をしたって泣いたそうじゃ。
その涙で穿った跡が残る石を「涙石」と呼んでいるらしいが、それがどこにわるかはワシには確認出来んかった。

しばらくして、予定の策略通り、伊敷索按司と平度比屋は兵隊を集めて、登武那覇城を攻撃開始した。

ところが、笠末若茶良は徳もあることながら、戦略にも長けていて伊敷索按司連合軍は敗れたんじゃ。

情けないことに伊敷索按司は生き残った。彼の馬が田んぼの泥んこ沼に落っこちて、動けんようになり、戦変えんかったんじゃ。わざとじゃないかのう。

で、笠末若茶良は、動けんでもがいている情けない伊敷索按司を泥田から引っ張り出したんじゃ。しかも、その臭い泥まで落としてやったんじゃ。昔の武士じゃったら、切腹すんじゃけどなあ。

そして、笠末若茶良は言いよった。

「私には、お父上に刃向かう心は少しもございません。どうかこの場からお引取り下さい。」

伊敷索按司は大恥面抱えてすごすご伊敷索城へ退散したんじゃ。

無題

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いよいよ、笠末若茶良の話は終わりになった。
ここらへんの話は実に沖縄的じゃから。その線の落ちとなる。

伊敷索按司の恥さらし話をきいた平度比屋は、これまたこすい。

「もしかして、今がチャンスと違う?」そう思いつきよった。

再度、伊敷索按司に知らせて兵を集めて再攻撃を開始したんじゃ。

笠末若茶良は、楚那見崎の洞窟で傷ついた体を休めていたんじゃ。

疲労の極にある笠末若茶良は、傷つきながらもたった一人で応戦した。
それを知った、彼をしたっていた一人である安谷屋(あだんな)大黒(うふぐろー)などは怒りくるって、総毛逆立駆けつけたんじゃ。(たった一人で戦っていた。と言うことになっているのに、誰がそのことを伝えたんか、見てたんか、はたまたその話を後世に語ったんかは不思議じゃ)
しかし、遅かった。卑劣極まる多人数大勢に攻められた彼は、身体中に傷を負っ。瀕死の状態ではあったけれども、話はできたらしい。

流石に、特のあるかれも、この時は父親たちを呪い恨んだらしい。

味方が駆けつける前に、遺言したんじゃ。誰にかは知らん。
「私の命を救ったのは宮平村の人たちじゃ。・・・・・
で、私を陥れたのは平度比屋じゃ。・・・・・ううっ’・・・
・・・願わくは・・・天の神々よ!・・・・・・
奴らに、あの憎しクソ親父と・・・・その・・・腰巾着共に・・・ううっ・・ああ・・・
本当の善悪の報いを与えてたもれ・・・・・。

やっと。それだけをいいのこし、最後の力で自刃(じじん)し命を断ったんじゃ。

無題

報いはあった。

宮平の一族は大いに栄えた。
一方、平度比屋の一族はハブに噛まれるいは、伝染病にかかるはで苦しみの果てに滅んだんじゃ。

そうなっちょる。

で、さらに伊敷索按司の一族も八重山のオヤケ赤蜂滅亡の後、首里の軍に攻め滅ぼさてしもうた。

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